大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和36年(オ)381号 判決

上告人 石田幸枝 外一名

被上告人 国

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人三文字正平の上告理由第一点、第二点について。

原判決(並びにその引用する第一審判決)の認定するところによると、上告人らの先代において昭和二一年一月頃発見したとする本件銀塊二九トンは、国の所有であつて、東京都中央区越中島の日本陸軍糧抹本廠整備部が同所所在の倉庫内に保管していたが、終戦直後、盗難その他第三者により持ち去られることを予防する保管方法として、右糧抹本廠構内のドツク水中に所謂水中格納するため沈めておいたもので、所有者の占有を離れたものではなく、右銀塊の量や、その所在した場所、上告人ら先代が発見したという時期からすると、当時右銀塊の所有者が国であることは容易に識別し得たものである、というのである。以上の認定・判断は、挙示の証拠に照らして首肯でき、右認定に副わない証拠は排斥されたものであることは、その事実摘示並びに理由に徴し明らかである。

しかして、民法二四一条所定の埋蔵物とは、土地その他の物の中に外部からは容易に目撃できないような状態に置かれ、しかも現在何人の所有であるか判りにくい物をいうものと解するのが相当であるから、原審が、前記認定事実に基いて、本件銀塊は埋蔵物とは認め難いとした判断は正当である。

原判決に各所論の違法は認められず、論旨は採用できない。

同第三点について。

所論は原審の認定しない乃至は認定に副わない事実、或いは原審で主張しない請求原因事実を前提として、原判決の違憲、違法をいうものであつて、採用することができない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田八郎 河村大助 奥野健一)

上告代理人三文字正平の上告理由

本件請求事件に於ける第二審たる東京高等裁判所の判決は第一審判決の理由を全面的に引用して控訴人の訴を棄却した。而して、銀塊が埋蔵物であつたとの主張を容れなかつた。

第一点第二審(第一審も同様)裁判は埋蔵物に関する法的解釈を誤つた不当な判決で適法な証拠調の結果を看過した違法がある。第一審の判決文判示には、

「埋蔵物とは動産の占有を離れ土地その他の包蔵物の中に埋蔵されその所有権が何人に属するかを容易に識別し得ないものと解すべきところ本件銀塊は敍上認定のとおり所有者たる国がその盗難その他第三者により持ち去られることを予防する為その保管方法として前記ドツクの水中に沈めておいたものであつて所有者の占有を離れたものと見ることができないのみならず右銀塊が二九トンの多量により、かつ、その存在した場所が旧陸軍糧抹本廠構内のドツクの中であること、更に原告先代石田恒治がこれを発見した日時であると原告が主張する昭和二十一年一月頃は終戦後五箇月程にすぎないことを考え合わせると、当時右銀塊の所有者が国であることは容易に識別し得たものと考へられる。そうだとすれば本件銀塊は埋蔵物とは認め難くこれが埋蔵物であることを前提とする原告の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく失当としてこれを棄却す」

と述べている。然るに

(イ) 本件物件の所有権が容易に識別し得なかつた。

本件物件はその所有権が日本国か或は外国に存するかは容易に識別し得なかつたので海中より引揚後は占領軍の管理する「東京日本銀行の合衆国の地下金庫室に貯蔵されている五六三七個の銀地金」となつたのであるこの事実は乙第一号証訳文第二項に明記されてある、即ち一九四九年八月五日附連合国最高司令官総務第五〇〇軍事郵便を以て日本政府宛の覚書であつて終戦四年経過している。

更に一九五〇年一月十六日附総司令部民間財産管理局より大蔵省財産管理局管理課長宛の非公式覚書乙第二号証訳文第二項に

「一九四六年の始め所有者の知れない若干の銀の地金が東京湾から引き上げられたがこれは敗戦のとき日本軍の一部隊がかくしたものと思われると日本の新聞に報道された。引き上げた地金は直ちに連合国占領軍当局の管理に委ねられた。東京湾から地金が引き上げられた当時実際の所有権が誰にあるかは推測することしか出来なかつた。占領軍が地金を引き上げることができるように情報を提供した日本人は褒賞金を受けるだろうかどうかというような話も持ち上つた」

とある。この占領軍の文書は原告が埋蔵物を発見した時より五年の歳月が経つて猶且所有権が不明であつたのである。

然るに第一審、第二審判決に於て、容易に所有者が識別し得ると判断した証拠は、原、被告何れが提出してもそれは原、被告の為した真正な自白と云うべきものである。本訴に於ける被上告人が第一審に於て提出した乙第一号証ノ一、乙第一号証ノ二は上告人が之れを援用して成立を認めたのだから原、被両者の主張が一致したのである。従つて乙第一号証ノ一、乙第一号証ノ二は顕然たる訴訟資料である。かゝる訴訟資料の採否をも判示せずに看過したのである。夫裁判にあたつては自由心証による認定も訴訟上適法に出された資料に基くことを要すると共にその資料をすべて斟酌しなければならないから、適法な証拠調の結果を看過した判決は違法ありと云わねばならない。故に破棄せらるべきである。

第一審判決は又判示の内に

「当時右銀塊の所有者が国であることは容易に識別し得たと考へられる」とあるがこれは裁判官が証拠を無視した想像であつて判断ではないかゝる想像の下の判決は又破棄せらるべきものである。

(ロ) 本仰物件の埋蔵されたドツクの解釈を誤つてる。

本件物件の埋蔵されていた所謂ドツクは船舶を建造又は進水に際して用いた設備ではなく広域の陸軍糧抹本廠の敷地の一部と称するけれども隅田川の河水と直結して小型貨物船が自由に出入し荷揚又は積荷をなす相当広い而かも東京都河川課の監理に属し陸軍糧抹廠が使用していた水域であつて戦時中は陸軍の監視の為一般民の出入を制限されていたが終戦後はその監視者がなくなり占領軍の管理に属する迄は一般民も出入していたもので国家の財産を保管する為の適当な場所ではない。然るに原判決は恰もドツクは倉庫にも比適すべき処と解して国家の占領権の及ぶ如き誤断をしている。かゝる見解を判決の理由とした不当があり破棄せらるべきものである。

第二点本件物件は所有者の占有下にあつたとの誤断で茲にも適法な証拠調の結果を看過した違法がある。

(A) 占有の意義は幾多の学説判例によつて明になつている。

本件物件は本件提訴後判明したのであるが(証人高橋市五郎証言)本件物件を占有してた人又は機関は如何の点を検訂するに終戦前は陸軍の戦争物資でその占有責任者は陸軍糧抹本廠長官菅野中将でありその代理行為者は陸軍糧抹本廠総務部長三好采女であつた。

然るに終戦直後糧秣本廠の三好采女配下の下級将校数名が本件物件の管理責任者たる上官菅野中将又は三好采女総務部長の命令なくして之を敵手に委ねることを肯ぜず、保管せる倉庫より引出して勝手に海中に投入したものでその時即ち昭和二十年八月二十日前後には国家の占有は完全に離脱したものである。証人三好采女、証人大谷泰造証言で明である。

若し国家が盗難を恐れたなら之を日本銀行に保管替をするとか或は陸軍本省の倉庫に保管するとか幾多の方法はあつた。

(B) 今仮りに本件物件を糧抹本廠の倉庫側の海中に投じても日本国機関が之を管理中なら占有を続けたと云うことも或は可能かも知れない。

然るに日本が昭和二十年七月二十六日のポツダム宣言受諾により終戦を告げ占領軍総司令官は我国に於ける最高の権力者となつて占領地特に連合軍の占拠地域内に於ては日本の警察力は及ばなかつたのである。

又ポツダム宣言受諾にかゝる一九四五年九月二十二日指令第三号第六項財産目録及記録要求に於て『日本帝国ハ出来得ル限リ速ニ本司令部ニ対シ本指令四及五ニ掲ゲラレ居ル生産物ヲ現ニ生産シ居リ又ハ生産セントシ居ル主ナル工場ノ財産目録ヲ提出スベシ』

とあり国家は本件物件の目録を提出する責任があつたのである。然るは国家は敢て之を為さなかつた。即ち本件物件がその占有を離脱してたが為である。

而かも本糧抹本廠は連合軍第一騎兵師団第七騎兵連隊第二中隊により本廠敷地は勿論各建造物及それに包含せられた一切の物は米軍によつて占拠占有せられたのであつて独り海中に投ぜられた本件物件のみが国家が占有することが出来ると云うことは余りにも不合理な判断と云わねばならぬ。かゝる証拠を看過し指令を無視した判断は破棄せらるべきものである。

(C) 我国がポツダム宣言受諾により聯合国最高司令官の命に依る昭和二十年九月三日の指令第二号により日本国軍隊は解散せられ軍人は存在しなくなつた。従つて従来軍の管理してた一切の物は或は聯合国軍に接収せらるゝか或は日本の大蔵省の管理に委ねられることとなつたのである。然るに本件物件は戦時最後の管理者たる菅野中将又は三好采女大佐より大蔵省の管理者に引継もなく、又報告もなかつた。従つて日本国の財産管理者が占有すると去うことはあり得なかつた。又何人によつて代理占有されたと云う事実もなかつたのである。かゝる判断は破棄さるべきである。

(D) 次に原判決に於ては埋蔵された物量と埋蔵された期間の多量と短期を以て埋蔵物にあらずと判断した。かゝる判断こそ立法の真意を無視したものであつて埋蔵物とは即ち『動産が占有を離れ土地その他の包蔵物中に埋蔵されその所有権が何人に属するかを容易に識別し得ざるもの』であつて埋蔵期間や物量に何等制限を附すべきものではない。然るにかかる独断的な解釈を為すは根本的に立法の趣旨に反するものでかゝる解釈に基いて下された判決は棄却せらるべきものと考思する。

第三点原判決は法令並に憲法違背がある。

第一審判決に於ては「右銀塊二九トンの多量に上りかつその存在した場所が旧陸軍糧抹本廠構内のドツク中であること、更に原告先代石田恒治が発見した日時云々」とあつて石田が本件物件を発見したことを認定していながら強て本件物件を埋蔵物にあらずと断定して民法二四一条並に遺失物法第一二条及同法第四条及同法第一三条に違背した判決を為したものである。

本件物件が埋蔵物であることは上告理由第一点及第二点に於て述べた。即ち発見当時は云うに及ばず発見後五年の歳月を経ても猶所有者は容易に判明しなかつたのである。然るに所有者たる国が民法二四一条規定の手続を為すことなく不当にも昭和二十六年之を占領軍の言に従つてオランダ国に引渡したものである。上告人は第一審の訴状請求原因第二項に於て本件物件の請求理由を述べているにも不拘、原審に於ては全々之の請求原因を看過して審理しなかつたことは民事訴訟法第二二四条同法一九一条に違背あるものである。従つて民法二四一条遣失物法第一二条第四条が上告人を保護することがなく結局憲法第二九条の違反するを以て判決は破棄せらるべきものである。

以上

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